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本や漫画小説を読んでいくブログです。伝統文化や興味のある分野の発信も随時行います!短編小説も書いていきます。よろしくお願いします。It is a blog that will read books and manga novels. We will also send out traditional culture and fields of interest to you at any time! Thank you.

【自分翻訳】古事記〜上巻-1/序文/古伝承とその意義

このブログの筆者(とんちゃん)が、古事記の全文を現代語訳されている資料を参考に装飾を書き加え表現していきます。楽しく読みやすく美しい文を目指していきますので何卒よろしくお願いします。

それでは長きにわたる投稿となりますがお楽しみください…

 

(アドバイス/案…ゆかりさん 執筆/創作…とんちゃん)

 

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引用|旧石器時代から古墳時代までをまとめたサイト_古事記・現代語訳「上巻:序文」|20230304|

http://kodainippon.com/2019/08/20/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E3%83%BB%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%E3%80%8C%E4%B8%8A%E5%B7%BB%EF%BC%9A%E5%BA%8F%E6%96%87%E3%80%8D/

 

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古い言い伝えとその在り方や意味

 

家臣の安万侶が淡々とゆっくりそして確実に伝えるために語りかけてきます。

 

まず初めに、宇宙が生まれた時、マグマのような根源がすでに凝り固まって、まだ何かを生む力もその形さえもなかった頃のことは、どう表現して良いのか分からないほど。それは微動だにせず、誰も彼さえもその形や状態を知る人はいませんでした。

 

けれども、今でさえ見上げれば上にある大空「天」と踏みしめれば足元のある大地「地」が生まれた時。アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)、タカミムスヒノカミ(高御産巣日神)、カムムスヒノカミ(産巣日神)の三神が、万物の最初を創造しました。

またこの時(「天」と「地」の2極に分かれた時)混沌とした全てが混じっていたマグマのような根元は陰と陽の二つの気に別れると同時にイザナキ(伊邪那岐)、イザナミ伊邪那美)の二神が万物を生み出す祖神となりました。

 

イザナキ(伊邪那岐)は、ヨミの国(黄泉国)へ赴きそして現世に帰ってきた際、祓ぎ(祓い清める動作)、目を洗うときに「日」と「月」の神が現れ

海水に浸かり浮き沈みして全身くまなく洗うと、多くの神々が出現したのでした。

天・地・万物の発生する以前のことはよくわかっていないし、どのように説明して良いのかわかりません。しかし、神の御代からの古い言い伝えによって、神が土そしては国を生み、島々を生んだ際のことを知ることができます。

天と地の別れる前の元始の頃のことは、遥か遠い私たちの知り得ない太古のことですが、古代の賢く聡明な人々のおかげで、神々を生み人間を生み出した頃のことを知ることができるのです。

 

天の岩屋戸の神事で、サカキ(賢木)の枝に鏡を懸(か)け、天(あま)の真名井(まない)の誓約(うけひ)で、スサノヲノミコト(須佐之男命)が玉を嚙んで吐き、アマテラスオオミカミ天照大御神)が剣を嚙み、須佐之男命が大蛇(おろち)を退治した後、多くの神々が繁栄したのです。そして、こうして、代々の天皇が相続(あいつづ)くことになったのです。

 

その後、天の安河の河原(あまのやすかわのかわら)で神々が相談して決めて、タケミカヅチノカミ(建御雷神)が伊那佐(いなさ)の小浜に降り、オオクニヌシノカミ(大国主神)と交渉して葦原中国(あしはらのなかつくに)を平らく定め治めることができました。

そうして番仁岐命(ほのににぎのみこと)が、初めて高千穂峯(たかちほのたけ)に天降りました。

 

神武天皇(じんむてんのう)は大和(やまと)に入り、永く過ごされることとなりました。

ある時は、川から現れた荒ぶる熊の神に悩まされたため、天つ神(あまつかみ)が降ろした霊剣を高倉下(たかくらじ)が奉りました。

またある時は、尻尾のある人に道で遇いながらも、八咫烏(やたがらす)の導きで吉野に入られました。

忍坂(おさか)では歌や舞(歌舞)を合図に八十建人(やそたける)を討地、賊を従わしたとされています。

 

崇神天皇(すじんてんのう)は夢に神の諭しを受けて、天神地祇(てんじんちぎ)を崇敬されたので、賢君と称えています。

仁徳天皇(にんとくてんのう)は民家を慈しまれたので、現在では聖帝と伝えられています。

成務天皇(せいむてんのう)は近江の高穴穂宮(たかあなほのみや)で、国都の境を定め地方を開発されました。

允恭天皇(いんぎょうてんのう)は飛鳥宮(あすかのみや)で、氏や姓を正しく制定されました。

 

このように、歴代の天皇の政治は、それぞれ異なり、派手なものと地味なものとの違いはありますが、古代の様子を明らかにすることによって、風教道徳が衰えていることを正し、現今の姿を顧みて、人道道徳の絶えようとする際の参考にならないはずはありません。

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次回は「天武天皇古事記の企画」です。